レッスルマニア10を終えたWWF(当時)は、6月のPPV「キング・オブ・ザ・リング」まで大きな大会はありませんでした。
そんな繋ぎともいえる期間にツアーに出発します。
4.23から”死の14連戦”と言われた
「レッスルマニア・リベンジツアー」です!
そしてそのうちの一環だったのが
そう、「WWF(当時) マニア・ツアー」です!
遂にWWF(当時)が単独で日本上陸することとなったのです。
どういういきさつだったのかは不明ですが、主催はキョードー東京。
WWF(当時)サイドは、プロレス黄金郷と言われた日本での興行なら、
「目をつぶっていてもソールドアウトになる!」
と自信を見せていたそうです(そもそも「日米レスリングサミット」も単独で開催する予定で、
「ホーガンVSサベージなら東京ドームを埋められる」
と本気で考えていたようで・・・)。
キョードー東京サイドは、ビッグネームの海外アーティストを呼ぶような感覚でいたそうです。
確かにそんな考えなら、ノーTV、ノーパブリシティでも動員できると思ってしまうかもしれません。
しかし当時の日本のプロレスファンは、WWF(当時)を一段下に観ておりました。
日本で発売されていたホーガン時代のWWF(当時)のビデオを観たって,
大味の試合しかしてない、演出に凝り過ぎで中身がない、殴る、蹴るだけの木偶の棒ばかり・・・
そんな印象を持ったファンはかなり多かったはずです。
ヒットマンが主役になった時にはホーガン不在で、
WWF(当時)ビデオを観てる人間は一段と減っていたと思われます。
オラは北海道ローカルの深夜バラエティに出ている鈴井貴之を「ぷかぷか」内の「愛の狩人劇場」から「モザイクナイト」まで我慢して何年もずっと観てきましたが、やっぱりどうしようもなくつまらなくて大嫌いになり、
「もう鈴井貴之を観るのはやめた!」
と決めた後「水曜どうでしょう」が始まりました。
それと一緒で、「もうWWF(当時)ビデオ観るのはやめた!」
と言うところで現れたのがヒットマンだったのだと思います。
さぁそれでは、
座長・ヒットマン率いるWWF(当時)マニアツアーを振り返りましょう!
そんな繋ぎともいえる期間にツアーに出発します。
4.23から”死の14連戦”と言われた
「レッスルマニア・リベンジツアー」です!
そしてそのうちの一環だったのが
そう、「WWF(当時) マニア・ツアー」です!
遂にWWF(当時)が単独で日本上陸することとなったのです。
どういういきさつだったのかは不明ですが、主催はキョードー東京。
WWF(当時)サイドは、プロレス黄金郷と言われた日本での興行なら、
「目をつぶっていてもソールドアウトになる!」
と自信を見せていたそうです(そもそも「日米レスリングサミット」も単独で開催する予定で、
「ホーガンVSサベージなら東京ドームを埋められる」
と本気で考えていたようで・・・)。
キョードー東京サイドは、ビッグネームの海外アーティストを呼ぶような感覚でいたそうです。
確かにそんな考えなら、ノーTV、ノーパブリシティでも動員できると思ってしまうかもしれません。
しかし当時の日本のプロレスファンは、WWF(当時)を一段下に観ておりました。
日本で発売されていたホーガン時代のWWF(当時)のビデオを観たって,
大味の試合しかしてない、演出に凝り過ぎで中身がない、殴る、蹴るだけの木偶の棒ばかり・・・
そんな印象を持ったファンはかなり多かったはずです。
ヒットマンが主役になった時にはホーガン不在で、
WWF(当時)ビデオを観てる人間は一段と減っていたと思われます。
オラは北海道ローカルの深夜バラエティに出ている鈴井貴之を「ぷかぷか」内の「愛の狩人劇場」から「モザイクナイト」まで我慢して何年もずっと観てきましたが、やっぱりどうしようもなくつまらなくて大嫌いになり、
「もう鈴井貴之を観るのはやめた!」
と決めた後「水曜どうでしょう」が始まりました。
それと一緒で、「もうWWF(当時)ビデオ観るのはやめた!」
と言うところで現れたのがヒットマンだったのだと思います。
さぁそれでは、
座長・ヒットマン率いるWWF(当時)マニアツアーを振り返りましょう!
スポンサーサイト